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コラム

 

篠﨑剛先生(昭和第一学園高等学校英語科教諭)のコラムです。

第3回「日本人英語科教員と現代日本語文法―使役について―」(2024年7月2日掲載)
第2回「撥音「ん」のローマ字表記に関して思うこと」(2024年4月18日掲載)
第1回「日本人による英単語の発音の変化」(2024年2月5日掲載)


日本人英語科教員と現代日本語文法 使役について

 文法の専門家かと問われれば、否がより正しい答えである。しかし、ことばを扱う職業柄、そうではない方たちと比べれば、幾分かは知っているつもりだが、では、本コラムのタイトルに含まれる現代日本語文法となると英文法よりは分からないところがある。日本語の学校文法についての授業を受けたのは、今から40年くらい前の小学校1年生の時だった。「にほんご」と書かれた赤い表紙の見開きA3判くらいの教科書で日本語の文法についての授業を受けた記憶がある。残念ながら内容は忘れてしまった。次に日本語の文法の授業を受けたのは、30年くらい前の中学校2年生の時であった。動詞や助動詞の活用を暗記させられたことを覚えている。体言や用言という用語も頭の片隅に残っている。それ以降、学校という場で日本語文法に触れることはなかった。20年くらい前、大学院生だったころから日本語と日本語文法のことが気になり、少しではあるがかじり始めた。教壇に立ち10数年、英語を教えるには英文法だけでなく日本語、日本語文法もある程度知っておいた方がよいと実感している。こういったことから自分への戒めと覚書として実体験を元に一筆執りたい。
 さて、本題に入ることとする。2023年度の学年末考査で以下の問題を出題した。

(1) 下線部の日本語として適するものを記号で選びなさい。
He had his ID checked by the police.
1) 彼は彼の身分証明書を確認された
2) 彼は彼の身分証明書を確認させた

ここでの正答は1) である。1) が正答の理由は、使用している教科書からそのまま持ってきたということと、問題文に「適する」と書いて、より自然な日本語訳を選ぶことになっているからだ。するとこの問題を見たある英語科の教員は、He had his bike fixed.とHe had his bike stolen.という2つの例文を添えて、それらに基づき「両方(つまり1) も2) も)とも正解だ」と言ってきた。問題文に「適する」と書き、「よりこなれた日本語を選ぶ、1文だがコンテクストを考えるように」と返答したのだった。このやり取りをきっかけとして、英語の使役と日本語の使役を比較し、整理しておこうと思った。
 まず英語の使役動詞について確認しておく。高等学校で使用されている参考書から例文を引用する。墺編 (2017:198-199, 250-251) によると、

 (2) 使役動詞
  1. 使役動詞+O+動詞の原形
   1.1 make+O+動詞の原形「Oに〜させる」
   1.2 let+O+動詞の原形「Oがするのを許す」(〜させる)
   1.3 have+O+動詞の原形「Oに〜してもらう/させる」
  2. 使役動詞+O+現在分詞
   2.1 have /get+O+現在分詞「Oを〜させる/させておく」
  3. 使役動詞+O+過去分詞
   3.1 have/get+O+過去分詞「Oを〜してもらう」「Oを〜される」

と、使役動詞の型が示されている。1〜3でhaveだけが全ての型に現れている。先に例示した考査問題でもhad (have) が使われているので今回は、使役動詞haveについて見ていく。haveの後ろに目的語が来るところまでは、共通しているが、その後ろは、@動詞の原形、A現在分詞形、そしてB過去分詞形となっている。それぞれの日本語訳は、@’「〜してもらう/させる」、A’「 〜させる/させておく」、B’「 〜してもらう/〜される」である。三村監修 (2021) では、have + O + 過去分詞形の訳に「〜してもらう」に加えて、「〜させる」もあるが、「目下の人に」という条件があるので、ここでは、B’は「 〜してもらう/〜される」としておく。高等学校レベルまでの参考書では、「〜してもらう」も「〜させる」もすべて使役の範疇に入る。「〜される」は受け身や被害と説明される。日本語の文法書では、「〜してもらう」は「授受」、「〜させる」は「使役」、「〜される」が「受け身」と記されている。そして「〜してもらう」は「受益」とも言える。これを同僚たちに話すと「受益かぁ」と初耳らしき反応をしていた。考査問題を指摘してきた教員にもこのことを説明したのだが、授受や受益という用語・概念については不明らしく、要領を得なかった。高等学校の英語教育の現場における使役という用語及び概念の現状についてはこのくらいで十分であろう。
 次に日本語文法における使役について概観する。日本人英語科教員が知っておきたい日本語文法である。本題に入る前に筆者が使役と聞いて思い出すことを記しておきたい。日本語文法を習った時期・内容は簡単に上述したが、国語や現代文の授業では使役は出てこなかった。使役が出てきたのは中学、高校の古文と漢文の授業だった。「す、さす、しむ」の未然、連用、終止、連体、已然、命令に応じた活用形や「…をして〜(せ)しむ」とひたすら暗記させられた。このように多くの方が使役に出会うのは現代文の授業ではなく、古文と漢文の授業ではないだろうか。古文と漢文の使役も興味深いところだが、ここでは日本語文法に焦点を当てる。この文章を書いているちょうどよいタイミングで益岡・田窪 (2024) の第3版が発売された。まず英語との違いは英語では使役動詞であるが、日本語では使役はヴォイス(井島編 (2020)、庵 (2012)、岩淵編 (2000)、衣畑 (2019)、高橋他 (2005)、戸次 (2010)、日本語記述文法研究会編 (2009))の一部である。益岡・田窪はヴォイスには受動表現、使役表現、可能表現があると言っている。使役表現は「働きかけの使役」と「許容の使役」に大別される。さらに英語の使役動詞との相違点は、可能の有無である。また「〜てもらう」は日本語文法では、「恩恵授受の表現」として授受構文で扱われている。以上は、日本語学の立場から書かれた使役のため、高等学校レベルで教えるには、やや難しいかもしれない。一方で会田他編著 (2011) や浅川・竹部 (2014) は、「せる、させる、しめる」といった使役を助動詞として扱っている。古文で「す、さす、しむ」を助動詞と言っているので、高校生には学習しやすいかもしれない。かつ馴染みがあるだろう。森田 (2002: 199) は、「本来、使役の助動詞『せる/させる』をつけた言い方だったのが、五段化して『使役動詞』となったと考えられる」と言っている。高見 (2011) も使役動詞という言い方をしていて、語彙的使役動詞と迂言的使役動詞とに分けている。森田による使役動詞の具体例を挙げておく。

(3) 五段化した使役動詞
開けさせる 開けさす
急がせる 急がす
入れさせる 入れさす
言わせる 言わす
怒らせる 怒らす    (森田 (2002:199))

日本語古典文法や漢文法において、「使役」は助動詞として扱われてきたので、日本語文法で使役動詞という言い方は興味深い発想である。しかし英語では使役動詞、日本語では「使役」の助動詞と習っている中高校生にとっては動詞なのか助動詞なのかという点で混乱を招く種となってしまうかも知れない。早津 (2016) は、「『使役文:文』と『使役動詞:単語』」と表現し、前者を「ヴォイス体系における使役文」、後者を「語彙体系における使役動詞」として捉えている。使役(文)をヴォイスと考える点では、日本語学の考えと通じている。また単語・語彙という視点から考察する点では、森田や高見と一致している。ただ早津が「使役動詞」を単語・語彙と見なす理由は、「いわゆる助動詞『-(サ)セル』を単語ではなく接辞であると捉え、動詞に『-(サ)セル』のついた『V-(サ)セル』をひとつの単語だとみな」している (早津 (2016:420)) からだ。使役を助動詞としてではなく接辞として考えることは興味深い視点である。
 ここまで述べてきた日本語文法における使役をまとめると、@言語学・日本語学からみた「ヴォイス」という考え方、A学校文法・伝統文法の立場からの「助動詞」、B独特な視点からの「使役動詞」と3種類に分類することができると分かった。日本語における使役を文法のどの部分で記述するかを考えると、それは大きく3つに分けられるが、形式は全て「せる/させる」である。以下に英語の使役動詞と日本語の「使役」を表にまとめた。

 (4) 英語の使役動詞と日本語の「使役」

      英語の使役動詞have日本語の「使役」(ヴォイス、助動詞、動詞)
      てもらう(授受・受益)恩恵授受の表現
      させる(使役)使役・使役表現
      される(受け身)受け身・受動表現

今回、参考とした墺編によると英語の使役動詞haveは、目的語の後ろに動詞の原形、現在分詞形、過去分詞形が来るかによって、「てもらう」(授受・受益)、「させる」(使役)、「される」(受身)と意味が異なる。ここで注意されたいのが、動詞の原形が「てもらう」(授受・受益)、現在分詞形が「させる」(使役)、過去分詞形が「される」(受け身)という一対一の対応をしていないということだ。動詞の原形の際は「てもらう/させる」、現在分詞形の時は「させる/させておく」、過去分詞形では「てもらう」「される」と記述されている。このようにhaveだけで授受、使役、受け身の3つの意味を担っている。これを以下に図式化する。

 (5) 英語の使役動詞haveの意味:重なる意味と独自の意味

英語の使役動詞haveの意味:重なる意味と独自の意味

考え方により、このような棲み分けにならない場合がある。文脈によっては、その場面にふさわしい訳し方をしなければならない場合があるからである。例えば、I have a gardener coming today.の現在分詞を「きょう庭師に来てもらいます。」と訳す場合などがある(cf.『リーダーズ英和辞典』第3版s.v. have)。しかし、ここでは墺編を意味と訳語の拠り所とする。一方日本語で使役といえば、「使役・使役表現」しかない。さらに立場によって、その役割がヴォイス、助動詞、動詞と様々だ。また英語の使役動詞haveでいうところの「てもらう」は日本語では「恩恵授受の表現」、「される」は日本語では「受け身・受動表現」となり意味の棲み分けができている。
 高等学校までの日本人英語科教員にとって、表 (4) の右側の日本語の「使役」は英語との対応関係において承知しておきたい知識である。同左については、すべてを知っておくべきだろう。なお、この中で「授受・受益」という言い方は高等学校レベルの英文法ではそれほど知られてはいない。一方、「使役」と「受け身」はどの参考書でも見られる。勘が鋭く、日本語文法もある程度知っている生徒は、「使役」という項目になぜ「させる」と「てもらう」があるのか疑問に思うだろう。より理解を深めるためにもこれらの用語を知っていて、説明時に使えるといいだろう。高等学校の英語の参考書に「授受」あるいは「受益」という表現が広まり、認知され、受け入れられることを切に願う。

*本コラムでは断りのない限り、日本語文法とは広く現代標準日本語文法を指すこととする。それは、日本語学的立場の文法、学校文法・伝統文法としての文法、独自の解釈に基づく文法を含んでいる。また通時的ではなく共時的な視点によるものである。

参考文献

会田貞夫・中野博之・中村幸弘編著 (2011)『学校で教えてきている 改訂新版 現代日本語の文法』東京:右文書院.

浅川哲也・竹部歩美 (2014)『歴史的変化から理解する 現代日本語文法』東京:おうふう.

井島正博編著 (2020)『現代語文法概説』東京:朝倉書店.

庵功雄 (2012)『新しい日本語学入門―ことばのしくみを考える―』第2版 東京:スリーエーネットワーク.

岩淵匡編著 (2000)『日本語文法』東京:白帝社.

墺タカユキ編 (2017)『総合英語 Evergreen Keep the Forest Evergreen』東京:いいづな書店.

衣畑智秀編 (2019)『基礎日本語学』東京:ひつじ書房.

高橋作太郎編集代表 (2012)『リーダーズ英和辞典』第3版 東京:研究社.

高橋太郎・金子尚一・金田章宏・齋美智子・鈴木泰・須田淳一・松本泰文 (2005)『日本語の文法』東京:ひつじ書房.

高見健一 (2011)『受身と使役―その意味規則を探る―』東京:開拓社.

日本語記述文法研究会編 (2009)『現代日本語文法A』東京:くろしお出版.

早津恵美子 (2016)『現代日本語の使役文』東京:ひつじ書房.

戸次大介 (2010)『日本語文法の形式理論―活用体系・統語構造・意味合成―』東京:くろしお出版.

益岡隆志・田窪行則 (2024)『基礎日本語文法』第3版 東京:くろしお出版.

三村浩一監修 (2021)『アースライズ総合英語ーPractical English Grammar and Expressions』東京:数研出版株式会社.

森田良行 (2002)『日本語文法の発想』東京:ひつじ書房.

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撥音「ん」のローマ字表記に関して思うこと

 2023年の秋あたりからコロナ禍を経て、学会発表を聞きに行くために電車に乗る機会が増えてきた。電車に乗るときは、駅員や車掌のアナウンスに耳を傾けたり、ホームや車内の掲示板や広告、路線図を見たりして何かおもしろいものはないか探している。その中でも一番見るのが路線図だ。路線図には漢字とローマ字で駅名が記されている。注意して見ているのは、長音、促音、拗音、撥音だ。長音と撥音の表記は各鉄道会社によって異なっている。撥音つまり「ん」の表記はnとmの両方がある。英語、音声学、言語学をやっている人たち以外は、「ん」のローマ字表記がmとなっていたら、「ん?」と思うかも知れない。そうこうしていると、8、9年前に気になっていたことが頭の中の引き出しから出てきた。

 日本語の撥音である「ん」を音声的に大雑把に分類すると3つになる。反対(はん[n]たい)、3回(さん[ŋ]かい)、そしてあんパン(あん[m]ぱん(1つ目の「ん」))である。それぞれの「ん」を発音するときの舌の位置や唇の形を考えるとこれら3つの「ん」の差がはっきりと分かる。ある音声学の先生が言うには、日本語の「ん」はもっと分類できるとのこと。しかし、ここでは3つまでとしておく。今回はこの日本語の撥音「ん」のローマ字表記について考えてみたい。特に無声両唇破裂音pの前の「ん」について。

 2015年11月、漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげる氏が93歳で亡くなった。我が家はこのデジタル社会において未だに紙の新聞を購読している。職業柄、日本語版と英語版を購読している。水木氏の訃報については、英語版でも取り上げられていた。その記事の中には氏の代表作がいくつか書かれていた。そのうちの1つに『河童の三平』があった。ローマ字では、Kappa no Sanpeiと綴られていた。Sanpeiのpの前の「ん」にnが使われている。これは実際に発音してみればすぐに分かることだが、「ん」と発音している時の調音器官(ここでは唇)の形を内省されたい。上唇と下唇がくっついている。これは「ん」の後に来る無声両唇破裂音のpが影響しているためだ。(これと同じことが子どもに大人気のやなせたかし氏の『アンパンマン』のローマ字表記でも見られる。しばしばいや、ほぼアンパンマンのグッズにはAnpanmanと書かれている。甥が幼いころ、アンパンマンには大変お世話になったのでよく覚えている。)

 話をSanpeiに戻そう。筆者はどうしてもこのpの前のnが気になり、発行元の新聞社に電話で連絡した。記事を書かれた方が対応してくださったかは不明だが、一悶着あった。上に記したように両唇音(現代標準日本語ではp, b, m)の前の「ん」は、nと書くよりもmと書いた方がより現実の音(おん)を反映していると伝えた(ヘボン式ローマ字では「ん」はnかmで綴られるが、p, b, mの前ではmとなる。ヘボン式ローマ字綴方表によると、三瓶(サンペイ)SAMPEI、難波(ナンバ)NAMBA、本間(ホンマ)HOMMA(列挙の順番は筆者が変えた)が例として挙げられている(2024/03/18閲覧)。これは英語でも同様のことが言える。例えばimpossible, imbalance, immatureなどがある。ただし例外もあるということを言っておく。例外については割愛する)。すると、新聞記者は、「nではなくmと書いてしまうと、『さむぺい』になってしまう」と反論してきた。当然、そんなことにはならないと言ったのだが、向こうもこちらも一向に引かなかった。埒が開かず、平行線になったため、音声(電話)でのやり取りの限界に来たと思い、その場は電話を終えた。しかしどうもしっくりこない。そのためA4の紙1枚に音声・音韻の立場から「ん」をmを使って表記することの説明を他のデータ(歯茎音t, d、軟口蓋音k, gの前の「ん」のローマ字表記がどのようになるのか、調音位置がどのようになっているかの仕組みを説明して)を添えて、手紙を送った。新聞社にとって、面倒臭いクレームが来たと思われたのか、9年経った今も返事は来ない。

 丁寧に電話での音声を使った説明、手紙での文字を使った説明をしたのだが、どうしても理解されなかったようだ。悶々とするまま時間だけが過ぎた。ある日、その英字新聞をじっくり読んでみた。すると灯台下暗し、1面にローマ字で新聞名が書かれていて、その下に小さくまたローマ字でBY THE ... SHIMBUN(新聞社の名誉のため社名を...にした)と書かれていた。ご覧の通り、両唇音bの前の「ん」が両唇音mになっていた。電話に出た方の論で言えば、これは「しんぶん」ではなく「しむぶん」である。その後も「ん」のローマ字表記がどのようになっているのか注意しながら、その英字新聞を読み続けている。その結果、分かったことは、「ん」のローマ字表記には、どのようなアルファベットが来たとしてもmもnも使われていた。おそらく「ん」のローマ字表記については社内で統一されていないのだろう。新聞は多くの人(この場合は、英字新聞なので英語母語話者、英語を第二言語とする人たち、英語教育者・学習者)が読むものであり、紙にしろ、デジタルにしろ後世に残ってしまう。そのような観点からもp, b, mの前の「ん」はmで統一した方がよいのではないだろうか。

 ここで日本語のローマ字について再考しておきたい。ローマ字には訓令式とヘボン式がある。換言するとこれは、音素表記対音声表記とも言える。昭和29年内閣告示による「ローマ字のつづり方」では、「はねる音「ン」はすべてnと書く」とある。例えば、tenki, sannin, sinbun, sanmyaku, denpôなどだ。今から70年も前のシステムが未だに運用されている。これらは訓令式によるつづりである。また「ん」は含まれていないが、多くの読者が知っているKurosio PublishersやHituzi Syoboといった出版社名は訓令式を採用している。このような中、2024年1月24日の読売新聞にローマ字表記に関する記事があった。複数の表記法が混在するローマ字表記を改善しようとするものだ。有識者会議によるとヘボン式の方が訓令式よりも広く使われている実態があり、文化庁もヘボン式が有力としている。筆者もShinozakiといつも綴っているが、Sinozakiとは一度も綴ったことがない。また、これまで何百人かの生徒を見てきたが訓令式で自分の名前をつづる生徒はほぼ皆無だ。ここまできたらやはりヘボン式で統一した方がよいのではないだろうか。

 最後に追記として日本語の「ん」を英語母語話者が発音した時の経験談を載せておく。2000年代初頭、大学生だった頃、神奈川県の厚木まで通っていた。使用したのは小田急線の本厚木(ほんあつぎ)駅だった。そこでは英語を母語とするカナダかアメリカ出身の先生が言っていた「本厚木」をあえてカタカナで表記すると「ホヌアツギ」だった。日本語の「ん」の発音と英語のnの発音の差の大きさを実感した。日本語学の世界では、撥音「ん」は、促音「っ」と長音「ー」と並び、特殊拍として括られている。日本語の「ん」は五十音の表では最後に来て、ワ行の次の行に「ん」だけの行を持つなかなか侮れない存在である。この場では五十音順の並びに関しては言及しないが、その順序には大きな役割・特徴を持っている。「ん」について興味が沸いた方には山口 (2010) を紹介してこのコラムを終える。山口氏は「はじめに」で東京メトロ東西線の日本橋(Nihombashi)という駅名表示に言及している。鉄道会社に問い合わせたところ、「欧米の方から、Nihonbashiと書くのは表記の慣例として間違っていると指摘されたからだ…」とのこと。また、山口氏の配偶者はフランス人だそうだが、上述した環境によって、nとmを使い分けていて、このことは英語とフランス語に限らずヨーロッパ諸言語の表記の慣例となっているそうだ。他に山口氏は「ん」の起源と発生に言及し、通時的に「ん」について説明している。

 

参照URL
ヘボン式ローマ字綴方表
https://www.ezairyu.mofa.go.jp/passport/hebon.html

 

参考文献
山口謠司 (2010)『ん 日本語最後の謎に挑む』(新潮新書)東京:新潮社.
「ローマ字混在 改善へ」『読売新聞』2024年1月24日朝刊

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日本人による英単語の発音の変化

 古くて新しい問題だが、英語音とその日本語への転写音について、いくつか綴ってみたい。

 年末になると悩ましいというか耳のあたりがもぞもぞしてくる。それは英語で書くとMusic Awardや... Awardのawardの発音だ。耳にするほとんどが「アワード」と発音されている。「アワード」と書かれているものさえ目にすることもある。ただ、2023年の晩秋、朝の民放のニュース番組でアナウンサーが「アウォード」と発音しているのを初めて聞いた。しかし、不思議なものである。古典的な映画、Star Warsは昔から「スター・ウォーズ」と発音されている。「スター・ワーズ」などと聞いたことは全くない。同じwarを含んでいるにもかかわらず、一方は「(ア)ワー(ド)」でもう一方は「ウォー(ズ)」。ネットで検索するとサッカーのJリーグでは、「Jリーグアウォーズ」と言っている。この表彰式は1993年からあるそうだ。ある意味例外に見えて、実はこちらが実際の英語発音に近い。このほかにも実際の英語の発音・綴り字と日本人が発音する英語の転写音との間には乖離が存在している。例えば、ジアスターゼdiastase、ジフテリアdiphtheria、ジレンマdilemma(アメリカ英語)がある。Disney Seaは、「ディ」と発音できる若者でさえ、Seaは日本語の「シ」の音で発音し、[s]の音では発音していない。

 「アワード」・「アウォード」問題は解消されていないが齟齬が解消されつつある場合もある。それは「ファースト」と「ファスト」だ。ハンバーガーなど注文後すぐに提供される食べ物を「ファーストフード」と長らく発音してきた。「ファースト」と長音を使うと英語にした時、本来の正しい発音のfastよりもfirstに近く聞こえる。野球の一塁は、1番目、firstなので「ファースト」と言って何の問題もない。『大辞林』第四版 (2019) によると、「ファースト〖fast〗の項に→ファスト」とある。「ファスト」の項には「ファスト○○」が6個あった。もちろん「ファストフード」も含まれている。「ファストフード」の意味説明は敢えてする必要はないと思われる。近年ではテレビ局のアナウンサーも「ファストフード」と発音するようになってきている。他に「ファストファッション」も挙げられている。これは比較的新しいものだろう。意味は、「最先端の流行をいち早く取り入れ、それを安く提供する衣料販売チェーンの業態。また、その衣料品。」となっている。「ファーストファッション」という発音は聞いたことがない。「ファーストフード」>「ファストフード」という変化があった。この変化を受けて「ファーストファッション」とならず、「ファストファッション」となったのだろう。

 大分、前置きが長くなったが、本題に入りたい。これらと同様の日本人による英単語の発音問題が筆者の職場で聞かれる。コロナ禍以前、会議といえば、大人数が1つの部屋に集まり行われていた。コロナ禍中はリモート会議ということで大人数で1カ所に集まることはなくなった。その代わりにMicrosoftのteamsが使われ始めた。teamsの発音が気になっている。本来なら国際音声字母を使って書くべきだが、敢えてカタカナで記す。teamsが導入されたあたりは、自分でも「ティームズ」と発音していて、そのような発音も耳にしていた。その後、しばらくすると「チームズ」に変わった。「紅茶」、特にミルクの入ったものを「ミルクティー」、レモンの入ったものを「レモンティー」と多くの人が発音している。(私が英語を習い始めたころ、塾で同じ部屋にいた私よりも年下の少年は、「ミルクチー」と発音していたが、これは例外であろう。大人で「紅茶」を「チー」と発音している人には出会ったことがない。)「紅茶」を英語で書くとteaと綴る。teamsの中のtea-と同じである。それにもかかわらず、「ティー」から「チー」に変化した。まれにスポーツなどをきっかけにできた集団を「ティーム」という人もいるがほとんどの人は「チーム」と発音している。「ティー」>「チー」変化の次の形態として、今職場では複数の同僚たちが「チームス」と発音している。とうとう濁音が清音になってしまった。これも日本的である。日本語で濁音が清音に変化した例は他にもある。日本のプロ野球チーム名にそれらは見られる。それぞれの語末のsの発音に着目してほしい。阪神Tigers「タイガース」や楽天Eagles「イーグルス」は清音。一方で横浜BayStars「ベイスターズ」、ヤクルトSwallows「スワローズ」、オリックスBuffaloes「バッファローズ」そして日本ハムFighters「ファイターズ」とこちらは濁音のまま。なぜ有声音の後の同じ綴り字sが清音になったり濁音になったりする揺れが存在するのだろうか。「ティー」が「チー」になるのは、現代標準日本語に「ティ」という発音がないからだろう。「チームス」と発音されるようになったことにより、teamsの日本語化は完結されたと思われる。この変化のスピードはかなり速かった。2020年の新型コロナウィルス禍を始点とするとほんの3年でここまで変化した。現在では「チームス」という記述も少ないながら見られる。一方、awardの変化は大分時間がかかったし、変化の途中とも言える。文字だけ見ていたらawardはまだしばらく「アワード」という発音のままだろう。

 以上、見てきたように英語音を日本語音へ転写しようとすると不規則なことがよくある。「ティームズ」>「チームス」から分かるように現代日本語においても言語変化は常に進行していることが分かる。誤りと捉えるか、変化と捉えるかは人により異なるが、いずれにせよ柔軟な思考が必要であろう。

 

参考文献

松村 明(編)(2019) 『大辞林』第四版 東京:三省堂.

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